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2007年03月17日

思えば遙々来たものだ

今日(平成19年3月17日)、NHKBSで、
小椋佳の「未熟の晩鐘」と銘打った
コンサートが放送されていた。

チャンネルを途中で家族に譲ったので、
途中までしか見ることが出来なかったが
改めて、小椋佳の歌詞の日本語の美しさに心を奪われた。
思えば、北海道を旅した学生時代は、
大学ノートに日々の雑感を書き散らしていた。

さろまにあんの前+s-.jpg
(1982年11月北海道佐呂間町民宿「さろまにあん」にて)

そこには、人間関係や恋愛、将来への不安や希望、
そして社会問題や人生に至るまで、
稚拙で荒々しい言葉であったが、
みずみずしい感性に溢れた言葉に満ちていた。

教コの窓から.jpg
(教室の窓から見えるもの)

それから25年の月日が流れ、
仕事に追われ、子どもの受験を心配し、
住宅ローンの返済に追われる毎日の中にいて、
彼の歌を聴いてふと立ちつくせば、
そのようなことを一顧だにしない生活に気づかされた。

「たよろ会」のメンバーと旅した冬から24年。
ホントに、気づかないまま遙々来たものだと感じる。

久しぶりに、北海道を旅するときに持ち歩いていた、
石川啄木の歌集を紐解いてみようか。

熊大の桜.jpg
(熊本大学キャンパスの桜)
ニックネーム たよろのとーさん at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) |

2006年03月05日

駅弁は旅を彩る味覚

汽車の旅をしていて楽しいのは、
その土地ならではの食材を使った駅弁。
近年、新幹線の駅なのでは、
いたずらに高価な駅弁などができ、
停車駅に関係なく車内販売されたり、
場合によっては、
デパートの物産展で大量に販売されているものの、
本当に駅でも販売されているのか疑問になるものなど、
興醒めするものも出てきている。

北海道を逍遙した時は、
宿泊代を節約するために夜行列車を多用したし、
移動時間が長いため、
列車内での食事をする機会が多かった。
今のようにコンビニなどなかったため、
気軽にお握りなど買える時代でもなかった。
だから、貧乏旅人にはちょっと高価だけど、
その土地ならではの、
そして素朴な駅弁と、
お茶のパックの入った入れ物に
やかんからお湯を注いだものを買い込み、
食事をすることが多かった。

駅弁の包みには、
その土地の風物などが書かれるともに、
製造年月日が記されているので、
旅の記念にもなるなぁと、
23年たった今頃、思いながら眺めているところである。

駅弁(旭川)1993.2.16s-.jpg

旭川の駅弁「鮭チラシ」。
1993年2月16日のこの日は、
早朝、塩狩温泉ユースを出発し、
朱鞠内で雪とあそび、
旭川を経由して札幌に出て、
そのまま、夜行急行まりも3号で釧路に向かった。
その時の夕食。

駅弁(厚床)1993.2.19s-.jpg

厚床駅の「ほたて弁当」
1983年2月19日は、
吹雪の中、トドワラや開陽台を歩き、
中標津から厚床へ移動した際に購入。

駅弁(釧路)1993.2.19s-.jpg

厚床から普通列車で釧路に移動して、
またまた駅弁を購入。
夜、帯広に到着しユースホステルへ。
夜間の到着なので、ユースでは夕食をとることができないので、
駅弁を買ったものと思う。

駅弁(遠軽)s-.jpg

遠軽駅の「かにめし」
1983年2月23日は、
3週間に及ぶ北海道旅行のエピローグの日。
早朝、民宿さろまにあんを出発し、
網走から特急おおとりに乗り、
旭川まで移動。
富良野線に乗車した後、
札幌、青森大阪を経由し、博多まで帰る。
ニックネーム たよろのとーさん at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) |

2006年02月26日

氷上運動会の参加証(1983年2月14日)

1983年2月14日にサロマ湖上で行われた、
氷上運動会の、
参加証(賞状)が見つかりました。

極寒の中での様子は、
このプログで紹介したとおりだが、
参加者一人一人に、
こんな参加証的なものが配られていました。

参加賞s-.jpg

参加賞2s-.jpg

私は、民宿さろまにあん主催のイベントととばかり思っていましたが、
発行者の名前がサロマ湖畔ユースのペアレントになっていました。
サロマ湖畔ユースホステルと民宿さろまにあんとの共催イベントだったのでしょう。
当時の民宿さろまにあんのとーさんの春菜治市・靖子夫妻は、
かって、サロマ湖畔ユースホステルの名物ペアレントであったことを考えれば、
当然のことではあります。

私の所属したサリーちゃんズは実力ナンバーワンとなっています。
と言うことは、優勝はできなかったと言うことでしょう。
もう、23年前のことになってしまい、
記憶は定かではありません。
ニックネーム たよろのとーさん at 11:07| Comment(3) | TrackBack(0) |

愛の国から幸福行き

廃止となった広尾線の愛国駅と幸福駅は、
その名称から、
多くの旅人で賑わったし、
切符も売れた。

残念ながら、
広尾線には乗ることができないまま廃止されてしまった。
しかし、たよろ会が発足した尾岱沼の翌日、
帯広まで移動してユースに一泊し、
そこから置戸方面に行く私は、
帯広から襟裳岬に行くトコねいに、
切符を買ってきてくれるように頼んでいたのだ。

トコねえは、
ちゃんと約束を守ってくれて、
ちゃんとパウチされた立派な切符が、
今も手元に残っている。

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駅舎も今も残されていると聞くが、
訪れる人も多いのであればいいのだが。
ニックネーム たよろのとーさん at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) |

2005年07月30日

「とらべるまんの北海道」はひとり旅の名ガイド

北海道の旅で必携だったのは、
「とらべるまんの北海道」と道内時刻表。
特に、「とらべるまんの北海道」は、
手書き文字で、バックパックを背負って、
鉄道(20日間乗り放題の北海道ワイド周遊券)で気ままに旅するものにとって、
観光地でない旅のポイントの名指南役である。
そんな旅人の集まる宿、ユースホステルの紹介もある。
厳冬期の北海道を楽しむ方法もしっかり書いてある。

とらべるまんs-.jpg

とらべるまん(中身)s-.jpg

初めて、この本に出会ったのは、
最初の北海道ひとり旅をした1982年11月のこと。
(当時、大学5年生〜1年留年中)
道内に入って2泊目の札幌のユースホステルの部屋は、
どでかい畳の大部屋だった。
そこで知り合ったベテラン旅人から、
この本を見せてもらう。
層雲峡ユースホステルに行くと帰るとの話を聞いて、
わざわざ、そこに泊まりに行って手に入れたのだった。
当時はB5サイズ(?)だったと思う。
数年前に道内時刻表を処分した際に、
一緒に処分してしまったのが、
今では惜しまれるところ。

今、手元に残っているのは、
1985年7月6日発行の続版だ。
頒価600円。
大学を卒業して東京で就職していたが、
退職して北海道を旅した1986年10月に買い求めたものだ。
持ち歩きに便利なようにA5版に改版されている。

この「とらべるまん」を手にして20年近い歳月が流れた。
北海道の旅のスタイルも、
ずいぶん変ってしまったのだろうと思う。

バックパックに文庫本と珈琲のパーコレーターを入れて、
また、旅に出てみたいと思うこの頃だ。
ニックネーム たよろのとーさん at 13:36| Comment(4) | TrackBack(0) |

2005年07月17日

旅の終わりは旅の始まり 第21日目(1983年2月24日)函館→青森→新大阪→博多

涙の札幌駅での別れ…そして特急北斗で函館へ。
深夜の青函連絡船に乗り換える。
今夜の船は摩周丸だ。
函館港を出港するときに、デッキに出て、
北海道に別れを告げる。
冷たい空気が頭を冴えさせる。
蛍の光と汽笛を長く残しながら、
函館の街の明かりが次第に遠ざかる。
函館山を左に回りながら外界へ船が出ようとするとき、
北海道の旅で出会ったすべての人、ものに、
シャロムと別れを告げた。

摩周丸スタンプ1s-.jpg

摩周丸スタンプ1s-.jpg

青森からは、
日本海沿岸を循環して走る特急白鳥2号に乗り換える。
早朝4時50分発。11号車7番B席。モハ485−1504。
青森→京都s-.jpg

日本海沿岸に出てからは、
ひたすら西南方向に走る。
13時頃に直江津を通過。
まだ車窓に雪が残るものの、
雪の量自体は、次第に少なくなってきた。
雪が少なくなるにつれて、
旅のエピローグが近づいていく。
旅の始めに札幌の狸小路で購入したスノトレも、
ずいぶんすり切れた。

京都駅で、
滋賀に帰るトコねえと一緒に下車し、
私は、博多行き新幹線ひかり号に乗り換える。
いよいよひとり旅に戻る。
旅の最終章の新幹線は、
ビジネスマンが多数。
旅の終わりを実感する。

20時頃に広島付近を通る。
ちょうど、札幌駅を出発して、まる1日が経過した。
三浦綾子の「積木の箱(下)」を読み終える。
旅に出て2日目の2月5日に、
函館から札幌に向かう特急北斗の車中で読み始めた本だった。
旅行中は、人との出会いや、車窓に見とれて、ほとんど読み進むことがなかった。
こうして、ひとり旅に戻り、
トンネルの多い山陽新幹線に入り、一気に読み進んだ。

21時6分。
ウォークマンで、ハイファイセットの「荒涼」を聞いていたら、
新関門トンネルに突入した。
青函海峡と関門海峡と、今日、2回目の海峡横断だ。

21時40分。
パッフェルベルのカノンの音楽を聴きながら、
ひかり号は博多駅のホームに到着する。

21日間の旅のエピローグを迎えた。

北海道ワイド周遊券2.24.jpg
※この旅で使用した北海道ワイド周遊券。学割のうえに冬季割引もあって、
 非常に安い価格で北海道の旅ができた。
 福岡と北海道間の急行列車に乗車可能。
 また、北海道内は、特急の自由席も含め乗り放題であった。
 宿代を節約するため、札幌から稚内、網走、釧路方面に走る
 夜行急行列車には、何度もお世話になった。
 券面に押してある途中下車印が、旅の記念碑だ。

(追補)
博多→熊本s-.jpg
博多駅から二日市駅まで鹿児島本線の普通電車で移動。実家に宿泊
翌25日に、二日市駅から上熊本駅まで普通列車に乗り、
熊本の下宿に戻る。
2月2日に熊本を出発した日から数えて、
23日ぶりの熊本である。
ニックネーム たよろのとーさん at 01:32| Comment(3) | TrackBack(0) |

2005年07月14日

周遊券最後の日 涙の特急北斗 第20日目(1983年2月23日)さろまにあん→網走→旭川→富良野→札幌→函館

朝6時起床。
いよいよ旅立ちの時が来た。
今日は、福岡発の北海道ワイド周遊券の有効期限最後の日。
今日を過ぎて途中下車すれば、
もう切符は無効となる。
いよいよ、道東から九州へ帰る道程をたどることになる。

出発前にあわただしく、
さろまにあんのトレーナーを購入。
さろまにあんのかあさんの寂しげな表情が心に残る。
また、旅して来よう。
今回の旅で、
3回に分けて6泊した「さろまにあん」に、
いよいよ別れを告げる。

とーさん、かーさん、ドロンパ、あきら、ケイちゃん、がッちゃんは、
湧網線の網走行き普通列車に乗車。
網走駅スタンプs-.jpg

網走から、特急おおとり号に乗り換える。
ドロンパとケイちゃんは、そのまま札幌へ直通。
残り4人は旭川で下車する。

旭川駅のスタンプs-.jpg

銀行へ行った後、
札幌のユースホステルでヘルパーをしているバケラッタの
誕生祝いをみんなで選ぶ。
そして、富良野線に乗車し、旅の最終日にようやく富良野駅にたどり着く。

汽車からは、
白銀の丘陵が光に輝いて、
前田真三さんの写真の世界のままの風景。
素敵だった。
たよろ会的には、
本当なら、雪原をあてもなく歩きたいところだが、
時間がなく、汽車の車窓からだけなどが残念。
がっちゃんはまた来るという。

富良野駅で根室本線の汽車を待つまでの間、
駅のそばにある商店街のお店に行く。
ここは、11月の北海道の旅の時に見つけたお店。
富良野プリンスホテルの、
前田真三さんの写真の絵はがきが、
おいてあり、購入する。

富良野駅スタンプs-.jpg

富良野から急行狩勝に乗車する。
ほぼ満席で、とーさんとがっちゃんはデッキに立つ。
デッキの半分凍りついた窓からは、
空知の雪原が広がる。
友人から借りてきたウォークマンには、
北の旅にあわせた曲を入れたテープを持参していれていた。
流氷を歌ったハイファイセットの「荒涼」を聞いていたら、
旅の終わりを実感し、
胸が熱くなる。

札幌駅に18時14分に到着する。
3人はまっすぐ雪印パーラーに向かう。
とーさんは、地下街に行き、
九州の友人へのお土産を買う。
そこで、ばったりトコねえと会う。
トコねえは、20日に帯広ユースホステルで別れたが、
襟裳に行っていたのだ。
広尾線の「幸福駅」切符を買ってきてくれるように頼んでいたが、
ちゃんと約束を守ってくれていて、感謝。
一緒に雪印パーラーに行き皆と合流。
名物?のお子様ランチを食べる。
そして、札幌駅に向かう。

札幌駅の別れ2s-.jpg

いったい、どれだけの距離の
北の大地の鉄路を
走ったのであろうか。
いよいよ、今回の旅で、
北海道で最後に乗車する列車に乗車することに…。

札幌駅20時発の特急北斗に。
札幌に直行していたドロンパ、ケイちゃん、そしてシライシ夫妻も来てくれた。
たよろ会大集合…そして解散式。
人混みであふれる札幌駅のホームで、
「窓の明かり消しながら、また会うその日まで」と、
たよろ会のテーマソングとなった、
かぐや姫の「おもかげ色の空」を繰り返し歌う。
みんな、涙が止まらない。

札幌駅の別れs-.jpg

熊本へ帰るとーさん(私)と、滋賀へ帰るトコねえを乗せた
特急北斗は、
みんなの見送りを受けて函館へ向かう。
ホームを列車が離れ、窓に札幌の街の明かりが、
次々に流れ去っても、
しばらくは、
「また会うその日まで〜」というメロディが、
耳から離れなかった。

この後、函館駅で連絡船に乗り換え、
青森駅からは、日本海縦貫線を、
特急白鳥に乗り新大阪まで南下する。

札幌駅のホームでの別れの後、
がっちゃんとあきらは、
夜行急行利尻で稚内・浜頓別へ、
かーさんは、夜行急行まりもで根室方面へ、
T助(九州)、ドロンパ(奈良)、ケイちゃん(愛知)は、
翌日の特急白鳥で、
それぞれの
住む街へ帰っていく。
それぞれの
旅の終わりが訪れるのだ。
ニックネーム たよろのとーさん at 23:30| Comment(0) | TrackBack(2) |

2005年07月13日

見渡す限りの流氷原に声なし 第19日目(1983年2月22日)サロマ湖

シベリア方面からオホーツク海を南下してきた流氷は、
北海道のすぐ沖合まで近づき、
本格的に北海道に接岸しようとしているとの情報を聞く。
旅を終える前に、もう一度流氷がみたい!と思う。

さろまにあんの別館で、
ストーブのもたらす心地よい温もりの中で一晩を過ごしたたよろ会メンバー。
別館前s-.jpg
T助が8時台の汽車で知床方面に向かう。
別れを惜しんで、浜佐呂間駅まで見送る。
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昨夜は、北から強い風が吹き、
その後、海が静かになったとの話を聞く。
ちょうど空も見事に晴れ上がる。
民宿さろまにあん主催で、
氷結したサロマ湖を徒歩で横断して流氷を見るツアーが挙行される。
とーさん、かーさん、あきら、どろんぱ、ケイちゃん、がっちゃんが参加する。

10時頃、民宿さろまにあんを出発。
裏の湖岸からサロマ湖上に出る。
一面の氷原の中を、みんなで歩く。
サロマ湖は、細く長くのびる砂嘴で
オホーツク海と分かたれた湖。
海と湖を分かつのは、25キロにも及ぶ細長い砂山だ。
その幅は、わずか200〜700メートルだ。

2時間ほど歩き、さろまにあんの対岸の砂嘴にある、
ワッカ半島に上陸。
しばらく、深い雪の中を歩き、丘を越えると、
一面のオホーツク海を覆う流氷群。

流氷原に感激s-.jpg

最初、それを見たときは、
全然想像を超えていたので、流氷と気づかずにいた。
一緒に歩いていた、かーさんが、
「あれは、流氷やなかね?!」と騒ぎ出して、
ようやく流氷と知った。

砂嘴の丘から見下ろしたとき、
北風で所々雪がとばされ、白と黒のまだらもようになった砂嘴。
その向こうに、どこまでもどこまでも真っ白に続く流氷原。
そこが、果たして海だなんて
全く想像も付かない風景だった。

砂嘴の丘を走って駆け下りて流氷にたどり着く。
そこには、折り重なるように接岸し、
人の高さほどまで積み重なり、
遙かに続く氷原。

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流氷の高さs-.jpg

キシキシと流氷が音を立てる。
氷原の下の海のうねりが起こすものだろうか。
流氷が泣いているように聞こえる。
まぶしい太陽の光にてらされ、
氷は青く涼しげに輝く。
陽に透けて見事なブルーだ。
昨日の北風で一気に接岸したと思われ、
これほど見事な流氷に出会え、
感激に言葉もないほどだった。

流氷原3s-.jpg

持参したサッポロホワイト(焼酎)をマグカップに注ぎ、
流氷を入れて、
流氷・オン・ザ・ロックを楽しむ。

流氷原2s-.jpg

名残は尽きないが、
流氷を後にして、サロマ湖東岸にある栄浦まで歩く。14時着。
ここは、サロマ湖の夕陽で有名なところ。
ここから、民宿さろまにあんまで、宿のワゴン車で送ってもらう。
みんなクタクタになった。

一休みして、夕方から湖岸に出て、
さろまにあんのスノモービルを貸してもらい、
がんがんスピードを出して走り回る。
雪が降り出したが、
寒さも忘れ…爽快!
Scan10279s-.jpg

いよいよ周遊券の期限も迫り、
ほんとは、この日の夜行で札幌方面に向かい、
雪の富良野を見てみたいと思っていたのだが、
中止し、さろまにあんにもう1泊して、
朝早い汽車で、旅立つこととする。

夜遅くまで、さろまにあんのかーさんと、
ゆっくり話をする。
今回の旅は、
開所1周年パーティや氷上運動会があり、
旅人がとても多い時期だった。
最も旅人が少ない時(昨年11月)のように、
さろまにあんのオーナーである春菜夫妻と、
話をゆっくりする時間がとれなかったのが残念だった。

また、今度、いつこの地を訪問できるか分からないが、
旅の想い出を、しっかり胸に刻むような、
そんな一日だった。
ニックネーム たよろのとーさん at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) |

2005年07月12日

サロマに再結集&別れの予感 第18日目(1983年2月21日)置戸→浜佐呂間(さろまにあん)

置戸町秋田の小学校の校長先生(九州出身)のお宅の、
暖かい部屋、ふかふかの布団でゆっくり眠らせてもらう。
暖かいおもてなしに、深く感謝。
家の周りの雪に覆われた丘陵は、
まさに北海道らしい風景で、
どんな観光地よりも、
旅情を感じる。

雪の中に膝を沈めながら、
写真を撮る。

置戸3s-.jpg

置戸2s-.jpg

置戸1s-.jpg

13時半頃、置戸町を出発し、
スパイクタイヤを装着した車で送ってもらい、
浜佐呂間の民宿さろまにあんまに、
私(とーさん)は、15時頃到着する。

雪で覆われた道を、
スパイクタイヤでグリップしながら、
普通のスピードでみんな運転している。
九州なら、
みんな雪道の運転の仕方を知らないので、
不用意な急発進や急ブレーキをかけて、
トラブル続出といったところだろう。
私も、雪道の運転をさせてもらう。
数年後の3月に、たよろ会で信州ツアーをした際に、
大雪に見舞われたことがあった。
雪道を運転したのだが、
このときの経験が大いに役立った。

民宿さろまにあんには、
各地に散らばっていた
たよろ会メンバーが続々再集結。

かーさんは、前日にさろまにあん入り。
16時の汽車で、ドロンパ、T助、ケイちゃん、がッちゃんが到着。
18時半の汽車で、あきらが来る。

久々の再会の喜びと、
旅の終わりが近づき、
別れの予感があって、
この日は、いつもに増して唄を歌い、
ギターをかき鳴らして盛り上がる。

さすがに、他の宿泊者に迷惑がかかるので、
1時の消灯時間で、
民宿内での大騒ぎは終了し、
厳寒の中を歩いて浜佐呂間駅に行く。
駅の待合室で、3時半頃まで歌い踊ったのだった。
暖房もないのに、
全然寒さを感じなかった。

民宿さろまにあんに戻るが、
こんな時間になってしまっては、
本館に眠るスペースもなく、
民宿の隣にある古い民家(別館と呼んでいた)に、
7人で雑魚寝をする。
さろまにあん別館s-.jpg
別館には他の宿泊客はいないので、
旅のこと、人生のこと、恋のこと…などなど、
いつまでも、話は尽きないのであった。
ニックネーム たよろのとーさん at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) |

2005年07月11日

置戸の夜はシバレル 第17日目(1983年2月20日)帯広→北見→留辺蘂→置戸

本当に久しぶりにひとり旅に戻る。
帯広ユースホステルを出発して帯広駅へ。
帯広駅スタンプs-.jpg

池田駅から池北線に入り北見行きの8時12分発の225D列車に乗車する。
池北線は池田〜北見間140キロを結ぶローカル線。
(今も、ちほく高原鉄道銀河線となって残っている。)
途中、松山千春の家がある
(屋根にでっかい肖像画…髪ふさふさ…が飾ってある)足寄駅や、
日本で最も寒い場所であるといわれる小利別駅などがある。

北見駅には12時54分到着。
汽車を待つ間の2時間ほどを、北見の街を、ぶらぶらとしてすごす。
初めて訪れ、また、再び訪れることはないであろう土地を、
何の当てもなく、また、何の拘束もなく、
気ままに歩きまわることのできる旅の楽しさは、
何物にも代え難い。

北見駅に戻り、
14時48分発の32D列車・特急オホーツク2号に乗車し、
留辺蕊駅に15時8分に到着する。
留伏・駅スタンプs-.jpg

留辺蘂という地名は、なかなか漢字を覚えられないが、
不思議なのイメージをふくらまさせてくれる印象深い地名と思う。
駅前は、とても空が広く感じられる。

15時45分発の北見バスに乗車し、秋田で下車。
ここは、緩やかな丘陵が続く、
北海道らしい土地。
防風林の丘陵が織りなす風景が美しい。
「秋田」」という地名は秋田県の方が入植した土地だからとのこと。
明治期に入植した方々は、艱難辛苦を乗り越え、
この地を立派な農地に変えた。
どのような気持ちで、
ここをふるさとの地名「秋田」と命名したのであろうか。

大学の後輩のご両親が、
この地に学校の先生として住んでおられ、
一晩お世話になる。

知人の家の裏庭s-.jpg
(知人の家の裏庭は丘陵。「北の国から」の世界だ)

ここは厳寒の地。
冬は20度と云うと、
マイナス20度の事を指す。
終日氷点下なので、
いちいちマイナスはつけて云わないとのこと。

この地では、
「冷蔵庫はものが凍らないためにあるのだ」
と教わる。
ニックネーム たよろのとーさん at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) |